宗教の香り
宗教に対して僕はオウムのせいもあってかアンチな目で見てしまうくせがついている。純粋な信者にとってはあまり受け入れられないところがあるかもしれないが、僕が出会った色んな宗教の人達はみんな親切で悪く思ったことは一度もない。これが表向きの顔であるのならば、裏の顔が知りたくなってくるのが当然である。だから、何処かに属してもいんだけど、どうせならいっぱい洗礼を受けてみて人柄を知りたい。洗礼はキリスト語なのかな。わからないけど、何かしらの儀式やらお布施やらが必要だろうと推測している。お布施は仏教かな。
宗教には興味がある。興味を持つと自ずとそういう施設なり人なりに出会うようになる。関係が結ばれていくので出会いっつうのはいいもんだなと思っていたりする。でも、騙されたり面倒な自体が発生するから気をつけながらもニコニコしながら交流したい。
いまなんで宗教かというと、これがようわからんのですが、小学校くらいから興味があったと思うし、高校の時には同時多発テロとか戦争が宗教間の対立で起こってるのを知った。だから余計ある。キリストもアラーもごく一部の人のせいで台無しである。日本の報道はイスラム原理主義を悪くいうようなイメージをしている感がする。どっちもどっちだ。戦争はなくならなければならないけど、どこかでどうせ無理なんだよなって諦めてる雰囲気がある。その人達は戦争をしないにしても、戦争をしたがりそうな人間の存在を知っているから「どうせ無理」が後でつく。
今日もバイクで遠方まで重森美玲の庭園を見に行ったけど、戦争したがりそうなトラックの運ちゃんが俺をひき殺してやろうかぐらいに幅寄せしてきたし、絶対戦争しそうにない「いい人」に出会った。いい人は僕にブドウを2種類もくれた。一つゴールドフィンガーという細長いマスカットを初めて頂いた。その後の、イタリアン料理のデザートにそれが使われていた。
いい人と出会ったのはやっぱりそういう香りのする施設で、あの村全体がそんな香りさえするが、皆いい人で、とても気持ちがよかった。ブドウの話もしたし、バイクの話もしたし、色んな人とそこでは交流を深めた。名教か気になったから帰って調べることにする。宗教で人は決められない。同じ宗教でも皆違うし、今日美玲の設計した茶室が大村寺にある功徳庵に行ったが、そこの寺は残念だった。酷い扱いを受けている神棚があった。直接、住職らしき人にお会いしたけど、そこを尋ねる勇気はなかった。怒ったら恐そうだし。それにしても酷かった。綺麗にしようかと、ゴミのようになった白い神を拾ったけど、なんか俺がしてはいけない気がした。当然だけど、警察官が人殺しをしないわけではないし、消防士が放火をしないわけでもない。まして、住職が……をしないわけではない。なんでもいいから……に言葉を入れて遊んで。