松本俊夫展@久万美術館
10月14日久万美術館へ行って来ました。持ち込み企画として白昼夢松本俊夫の世界が開催しています。前日に愛媛入りして、道後温泉とか行った。その辺りは言いたいことがあるのですが別で書こうっと。
松本俊夫は大学の頃、実験映画の類いで観た。映画を選考していたが、授業で取り扱われたことはなくて、友達となんか面白そうな映画はないかと図書館の所蔵リストを見て名前と年代と尺で決めて2人で観ていた時に出会った。松本俊夫の初体験は確か石の詩だった。2人で観ていてこれホンマに面白くなるのかと不安になりながら、そして睡魔と格闘しながら観ていた。そして2人諦めかけていたラストの目まぐるしく写真が動き出し、石が生きているという言葉の通り映像内の石も生きた。アニマだ。
いつもではないが作品のほとんどが僕は眠たくなる。松本俊夫だけではなく、映画では眠る。映画が好きじゃないのかもしれん。名画とされるものですらエンドロールまでしっかり眠ってスッキリ目が覚める。
But‼松本俊夫は違う。中盤で眠くなって短時間寝たあと、起きなきゃって自然に身体が起きてスクリーンに目をやった時にめっちゃカッコええがー‼って感動する。そして、もう一度見直す。「眠ってしまった一部のために」再度睡魔と戦いながら寝てやるもんかで根性出して観ると、松本俊夫の作品は「焦らしのプロ」だとわかる。焦らして焦らして、最後にオォー‼ベラボー‼にさせてくれる。僕の場合は焦らしがイキ過ぎて寝てしまうだけのこと。僕は目を閉じて白昼夢に耽っている。それは白昼夢とはいわないが、展示の始め辺りに「本当に目を開けて見ているものが真実か!」というような言葉がある。だから目を閉じて白昼夢も可能だし、僕は映画を観るのを中断して自分の妄想や想像、瞑想をしているんだと、上映中の睡眠を肯定する。
今回行った日は午後からトーク、ワークショップ、音楽鑑賞とイベントがあり午前中作品を観て、イベントに参加する予定にした。久しぶりに松本俊夫さんの作品を観た。大体がDVDで観れるし、展示の仕方も綺麗でないから正直作品を一つ一つきっちり観るために行くものではないと思った。あの空間に作品が一堂に介し、それらに関する物を展示し、それと映像とを照らし合わせ自分なりに考察するのがよいと思った。だから、わざわざ遠方から来られる方は何か催しがある日の方が良いと思う。
ワークショップの内容はテープコラージュで、参加者で湯浅譲二の何て曲か忘れたがその音源のテープを切って適当に選んだテープを繋げたのを聴いた。そのテープの中にいくらか無音のテープを入れたのが不思議だった。というより無音のテープという概念が不思議だった。無音のテープって…なんや?この世に無音がないのは僕も無響室に入った時に俺の血流を感じた。半分嘘だし、ジョンケージが言うてたから意識して耳をすませたし、東京のどっかのミュージアムで入ったけど、機材が中にあって、もう既に機材のヒスノイズが微かにシャーって鳴ってたから、無響室の楽しみがそのせいで一瞬にして消えてしまった。
やべぇ、話がそれた。とにかく、川崎弘二さんがおっしゃられた、動物の鳴き声の件に僕は驚いた。そんな考えは僕にはなかったです。
説明しよう!声の情報量、と生き物の寿命。犬の0.3秒のワンに、「今日は左前後ろ足が痛くて散歩に行きたくないです」って言うてるかもしれんっていうこと。人間がそれを言うのには2秒弱かかる。生きるスピードだわな。それをテープの再生スピードから導く。面白いなー、自分でも考えてみよ。早口なヤツは少し早めに死ぬ。
その後、映画音楽の上演を聴く。演奏というより音楽鑑賞だったけど、後ろで能美さんが操作しているのでやっぱり演奏だ。コンセプトととして聴くのみのことなので能美さんが視界に入らないところで聴いた。不思議なもんで音楽を聴くとスピーカーを見つめてしまう。それも嫌だなって途中で思って目を閉じたら暫く寝てしまった。心地よかった。寝ていて何故か急に眩しい光が暗闇からパッと弾けて目が覚めた。とてつもなく激しく黄金いろの光がど真ん中からビャッって、神のお告げだと理解する。なんのお告げか…。
「映像を作りなさい。」と仏様がおっしゃられた。俺は都合の良い野郎だぜ。
能美さんは今回のために手作りの装置を作っていた。
同じ機械4つを合体させているらしい。ダイヤルには手書きの数値が…。4つとも微妙に違う。詳しく尋ねると機械は同じでも一つ一つ性質が若干違うのだと。車とかパソコンにもあるように物には当たりハズレがある。あるんだけど違いを知るには比べないとダメ。比べてみて分からないとダメ。
それが出来ている能美さんに脱帽。できているのかどうかは僕にはわかりませんが、心地よい音楽をありがとうございました。