牛窓の大仏
岡山の牛窓に行ってきた。
帰りに無性に寄りたい寺があったので寄ってみた。理由は秘仏があって、どうやら空海の木彫の千手観音がいらっしゃるという看板があったからだ。お寺のおばあちゃんに「千手観音は33年に一度しか公開されないもので次がいつかも決まってない」と言われ、ガッカリしていたが、「この山を上がっていくと岡山県でも1、2位を争う大きな大仏がいるということで気を取り直して上がってみた。
森林に囲まれた階段を上がると、荒野が広がり荒れ放題の土地の一角に幾つか建物があった。この上がった瞬間の異郷地感がたまらなく神隠しにあった気分さえした。建物の一部は焼けて黒焦げになっていた。荒野の理由は火事だったことがわかる。そこにどんな社があったのかとても気になるが、目当ての大仏を探す。1番隅っこにある建物の格子を覗いてみると間近にドカーンと大仏が座っていた。近過ぎるしデカいし金箔が少し剥げ落ちた大仏に興奮した。興奮しまくって黙って息をのんでは「すげーすげー」とはしゃぎ回った。このプロセスが良かった。千手観音が見れず残念になったこの心を大仏が全て吹き飛ばした。それほど立派な大仏がじっと黙ってそこに座っていた。感動で泣きそうになった。
今日はなんていい一日だったんだ。そう漏らしながら階段を降りた。人っ子一人いなかったはずが、山を降るとたくさんの人にすれ違う。何があったか気になって、一人の女性に尋ねると初お彼岸を迎える死者のなんたららしい。とにかく多くの人がお寺に入って住職も小走りに急いでいた。僕が車を停めた駐車場にはたくさんの車で埋め尽くされ僕の車は閉じ込められてしまった。あー、なんていい一日だ。こんなトラブルまで演出してくれた。久しぶりに血が騒ぐ。寺の人に計3台の車の持ち主を呼び出しなんとか出ることができた。とんだ邪魔をしてしまって申し訳なかった。死んだ人は何か俺に言いたいことがあったのか、大仏は俺に何がしたかったのか、このプロセスは一体なんだったのか深く考えさせられる体験となった。未だに考えているがなんだったのか答えが見つからない。ただ、この話を漫画にするとガロっぽいなと思った。
あー、素敵。