岐阜旅行2 養老天命反転地
養老へは養老鉄道に乗って大垣から20分くらいで着いた。12時をまわってピーカン晴れで暑い。歩いて今日のメイン養老天命反転地に向かった。途中遊園地なんかがあって観光地の雰囲気があるが、夏休みを過ぎたためか閉園していた。もしかしたら永遠に閉園なのではと思うくらい老朽化していた。かつては大いに賑わっていたのだろう。寂れた雰囲気がそそる。養老天命反転地の看板が見えて広い駐車場を抜けて、受付に辿り着いた。汗ダラダラ。受付手前には何軒か露店がある。観光客は疎らで露店で飯を喰っていたのは2グループ。淋しい。こういう状況下で店のおばちゃんを見るとなんか買ってあげたくなる。とても淋しそうな顔に見えてしまう。だけど僕は素通りした。そんな哀れみを持つのが逆に失礼だ。きっと行楽シーズンではがっぽり儲けているはずだ!だって今日は9月4日火曜日。なんでもない日だ。
受付に着いて700円くらいの入園料を払った。暑い。養老天命反転地もかなり老朽化が進んでいて現代美術の小綺麗な感じはない。むしろ、都築響一が紹介しそうなくらいの珍スポット又は流行りの廃墟写真集に載ってしまいそうな勢いだ。
あー、荒川さん。あなたはどうされていますか?ここは中々いい感じに味が出てますよ。どこからが現代で近代なのか区別は知らんししなくてよいがデュシャンが芸術には賞味期限のようなものがあると言っているのがここ最近引っ掛かる。西洋と東洋の違いないなのか。日本は物を使い込んでボロボロになってくるとまたイイ感じになって愛着とか貫禄が出てきてGOODなんだけどなー。ここに行けば分かる。是非行ってほしい。ここの写真とかを見ると綺麗な異次元な公園という印象を持つが、実際は汚れや落書きがしていたり、夏もあってかかなり草木が生い茂っていて、どこが日本列島かとかどこがヘソとか道とか上から見てもわからんのです。
一つ一つの空間では色々やることがある。後ろ向きで歩いたり、立ち止まって考えたりする。そんなこんなで頭な混乱してバランスが崩れたり一種のトランス状態に陥るらしい。どれもやったが僕はいたって平常でこの場所や自分の家、自分のいる日本とか色々考えた。僕という自己が芽生えてから生ずるアイデンティティ、人格、僕がいる世界とか僕はなんなんだろうとか考えたりした。考えていると暑くなってくる。だから僕は上半身裸になって見学した。途中警備員に怒られたりもした。僕の裸は他人に迷惑をかけるらしい。ここに来ている人、特に女性はヒールで来ている方がいた。スニーカーを貸してくれるので利用した方がいい。僕なんかズボンが破れた。その時に1番立ち止まって考えた。ここでこの愛用の短パンが破れたことに…。