山口旅行2
車窓はなんでもない、ごくありきたりた風景だった。湯田温泉に着いた時、何だこの普通さかげんは。ここは温泉街か!?湯気がない。観光地さがない。しょぼい街だ。地元と同じだ。でも、駅前にデカい狐像がある。そこは許す。地元の新倉敷駅も良寛さんがいるぞ!暫く温泉街まで歩くらしい。じゃあ歩く。タクシーなんて乗らないぜ。すぐ着いた。でも温泉街じゃない。ただの街だ。ちょっと栄えた街だ。とりあえず予約していたホテルへチェックイン。今回は呼ぶぞ!絶対に!何を呼ぶか。デリヘルだ!絶対やってやる!大人の階段登ってやる!電話した。男が出る。やる気がない。受付ないなくなる0時30頃に電話して下さいとのこと。だが、ここは宿泊者以外立ち入り禁止であると後で知った。辞めた。こんなんで警察の厄介にはなりたくない。諦めよう。ピンサロにしよう。と思いながら、中原中也記念館へ行くことにした。中原中也との繋がりで驚いた!なんと私が尊敬する小林秀雄と関係があった。しかも、メチャ親密だ。この繋がりは泣けてくる。知らなかった。
酔った。酒が。
温泉街というと草津がとても印象に残っていて初めてああいう湯けむりの街、温泉饅頭、古びた土産物屋、おばさんが温泉街と認識したと思う。しかし、今回は湯けむりに変わって若い子達がよく目立った。温泉街だろ?観光地だろ?なのに地元人の日常も片足浸かっている。しかも、ピチピチの若者が。そんな風に街を歩くと夜の店の並ぶ通りに着いた。僕はスナックとかキャバレーの少し前の看板が大好きで、かせの商店のハンコもそれを意識きて作ったものもある。そんなLOVE看板を写真に撮った。することなくってそんなんで暇を潰した。あの類いの看板のイマジネーション、常識に惑わされないデザインが大好きだ。そんな看板も撮り終えて暇になってまた面白いところがないか歩いて見つけた。石をメインに売っている土産物屋だ。水晶とかヒスイとか綺麗な石を仏様とかマリア様とかアクセサリーに加工したものをボロボロの店で売っている。石は重いからあまり買う気になれないし、特産でもないのでなんでかと思った。店主のお爺さんもボロボロである。客は1人もいない。「ここは石を売ってるんですね」と、馬鹿みたいな感想を述べると「ええ。それより旦那」と、ショーウインドウを指差す。見ると、野村監督と写った写真。白黒の南海ホークスのユニホーム姿の若かりし頃の爺さん。もしかして野球選手だったんですか?野村は一個下だけど一緒に一軍に上がった。でも、一軍昇格が決まった直後肩を壊して、リハビリしたけど駄目で諦めた。
なんと、最悪な人生。だけど、やけに自慢気である。野球の話が長く続く。石を見ながら聞いて、凄い凄いと煽てていたらご機嫌なご様子。少しして気づいた。壁中色紙だらけだ。色紙は誰かのサインとかじゃなく、川柳のような言葉である。これは何ですか?
ウチのお袋の俳句や。川柳おばあちゃんで有名だったんだ。官邸にもお招きされたことがある。と、また自慢気である。実際の新聞記事とかもあってどうやら本当らしい。この爺さんの周りは皆有名人である。少年野球のチームも強くて6人がプロになったらしい。なんという人生か。こんな後悔の残る人生があっていいのかと、この爺さんに泣けた。俺も同情している立場ではないが、悲しかった。爺さんもそりゃ怪我した時は悔しくてたまらなかったけど、無理なもんはしゃーない。だから実家に帰った。人生諦めが肝心なのか。本当にそうなのか。怪我をしても野球の中で仕事ができたのではないのか。失礼だが、こんなボロボロで明らかに貧乏そうで生活は大丈夫なのか。俺も他人事のようには思えない。ただ、やたらと過去の中途半端な功績と自慢の亡くなった母ことなどこんな爺さんになっても語っているのか。なんと格好の悪い容だろう。野球の話は続き、僕に何枚かの写真や記事などをコピーした紙をくれた。なんとも面白くて嬉しくて、僕も調子に乗って石を買おうかと思ったが、やめて100円のシミのついた扇子を買った。爺さん、楽しい話をありがとう。これ買うよ。
いやーそんなんええのに、悪いなー。好みの扇子だったので全然良かった。二つ買った。これで帰れると思ったが、まだ野球の話が続くので、こっちで強引にまとめて、ほなサイナラを3度目くらいでようやくサイナラした。とてもいい人だった。こういう面白い人との出会いは毎回旅行して旅の良さを知る。風俗の話もしたが、簡略化していうとここは駄目らしい。後で無料案内所にも行ったがピンサロとかは登録されてないから紹介できないと言われた。ネットで調べたピンサロに電話もしてみたが現在使われておりません。だと。頭の中は風俗ばかりで阿呆やと思った。金沢の旅行以来、いつか大人の階段登ってやる!しかも、知らない土地の女を抱く!これが目標だった。なのに今回も駄目そうだ。今度からラブホに泊まることにしよう。